Hollow Knight は苛烈だが公正だった。長らく待たれ、長らく延期されたその続編 Silksong は、苛烈であってそれ以上の何物でもない。そしてその差こそが、私の不満のすべてである。
擁護派が集結する前に、記録に残しておいていただきたい。私は自分が何を買うのか承知していた。Team Cherry のメトロイドヴァニアを買う者は、虫をテーマにしたふれあい動物園での穏やかな散歩など期待しない。打ちのめされることを、それも繰り返し、いささかの熱意をもって打ちのめされることを期待して買うのである。打ちのめされることは受け入れる。私が受け入れないのは、審判がこっそり会場を後にしたまま執行される打擲である。
私はいまゲームのおよそ半分まで来ており、最初の DLC が届く前に100%クリアを目指している。エンドロールはまだ見ていない。したがって本稿は、山頂からの最終判決ではなく、塹壕からの中間報告と思っていただきたい。塹壕というのは、請け合ってもいいが、なかなか示唆に富む場所である。
Hollow Knight という基準
私の最初の Hollow Knight は、完全な初見プレイだった。wiki も、攻略も、YouTube も、友人からの耳打ちもなし。古い意味での冒険そのものだった——困難で、ときに屈辱的で、そしてやり遂げたときの報いは計り知れなかった。
あのゲームの難しさには、独特の手触りがあった。ボスや足場の難所に出くわすたび、古式ゆかしい「ああクソ、やってられっか」という反応が引き起こされる。それでも人は進み続けた。道が見えていたからである。きつい。だが、達成はできる。失敗すれば、それは私の失敗であり、ゲームはそうでないと私に思わせることを決して許さなかった。難しいゲームにおける公正さとは、つまりそういうことだ——罪に見合った罰と、無罪放免への明確な道筋である。
苦痛の算術
問題は単純な算数から始まる。Silksong では、雑魚敵の一撃がマスク2枚分のダメージを与えてくる。ボスでも、装甲をまとった荒くれ者でもない。見た目がネズミの生き物が、である。Hollow Knight では2倍ダメージは強敵のために取っておかれていた。ダメージ体系が脅威の度合いを伝えるとは、そういうことである。齧歯類が軍閥の長と同じ強さで殴ってくるなら、その体系はもはや何ひとつ伝えていない。
帳簿の反対側も、やはり容赦がない。序盤のネズミ、カエル、小鳥は、それぞれ針の攻撃をおよそ4発吸収する。前作で4発といえば、本当に危険な相手を仕留めるために払う代価だった。そのうえ針の強化は第一幕のかなり奥まで進まないと手に入らず、Hollow Knight の同等の強化よりはるかに遅い。おかげでこちらの火力は、何時間にもわたって発育不良のままである。あなたの攻撃は茹ですぎた素麺のようなもので、しかもその素麺が、板金鎧を着込んだネズミと戦っているのだ。
溜め込み屋のシルク経済
シルクは、Hornet の回復と特殊技の両方をまかなう資源である。書面上、Bind は気前がいい。空中でも使えるし、マスクを3枚回復する。だが実際には、通りすがりの害獣が一匹ごとにマスクを2枚ずつ削っていくのだから、3枚戻ったところで端数にすぎない。全快することはなく、息をつく暇もない。
当然の帰結として、人は溜め込むようになる。カウンター、針投げ、範囲攻撃、そのほか Hornet のシルク技一式は使われないまま放置される。攻撃にシルクを使えば、角を曲がった先で次の待ち伏せに遭ったとき、Bind に回す分がなくなるからである。使うのが怖い道具一式は、道具一式ではない。陳列ケースである。
さらに悪いことに、敵が密集した区間や足場の多い区間の一部は、事実上、姑息なシルク稼ぎを要求してくる。部屋を一歩出て、敵を一発叩き、引き返し、これを繰り返して、先へ進む危険を冒せる程度までゲージを満たすのだ。Hollow Knight に費やした全時間を通じて、ソウルのために敵を狩り続けたことなど一度もなかった。プレイヤーにこんな作業を教え込んだ時点で、ゲームは自ら馬脚を現している。
ベンチ、戻り道、そして長い長い恥辱の行進
Hollow Knight において、ベンチの配置はひとつの言語だった。すぐ先にベンチがあるということは、これからとんでもなくクソみたいな目に遭うということであり、ゲームはありがたくもそれを警告してくれていた。本当にひどい戻り道(死んだあと、ボスのもとまで歩いて戻る道のり)は二つか三つしかなく、それにさえ救済策があった。Dream Nail で設置する Dreamgate を使えば、Soul Master や Traitor Lord のような戦いの戸口まで、長旅なしでワープできたのである。
Silksong にそんな慈悲はない。ベンチは死にやすい場所から遠く離れて置かれ、戻り道は、そこに至るまでの自分のあらゆる選択を省みるのに十分なほど長い。Sinner’s Road や Bilewater のようなエリアは、ことさらにプレイヤーを煽るために作られたとしか思えない。そして Silksong において、煽りはもはや例外ではない。方針である。
さらに、ベンチそのものがオチになっている場合もある。Sinner’s Road で私は、修理しなければ使えないベンチに出くわした。修理する唯一の方法は、まず超危険な区間を渡りきることだった。途中で死ねば、目を覚ますのは最寄りの使えるベンチであり、それは Sinner’s Road ですらなく、Greymoor にある。そこであなたは Greymoor を歩いて戻り、Sinner’s Road を歩いて戻り、例の難所を歩いて戻る。すべては、腰を下ろす場所を得るという特権のためである。
一度、座った者を殺すベンチにも出会った。罠ベンチである。休ませてもらうには、まず罠を解除しなければならない。ほかにも煽りはあり、それを避けられるのは攻略を読んだか、事前に警告を受けた者だけだ。Hollow Knight は一度たりともこういう真似をしなかった。最も近いものといえば有料ベンチだが、ときにギリギリの Geo で代金を払うのは、待ち伏せではなく、ささやかなご褒美のように感じられた。Hollow Knight のベンチは安全の約束だった。Silksong では、それはオチである。
ボスは問題ない。問題はそこまでの道だ
Team Cherry の名誉のために言えば、ボスそのものは問題ではない。Hollow Knight のボスより難しい。それも相当に。Silksong の普通のボスに死んだ回数は、前作屈指の真に過酷な戦いである Grimm に死んだ回数とほぼ同じである。それも、こちらも倒した Nightmare King の形態ではなく、元の Grimm のほうだ。Silksong では、ほぼすべてのボスがその高度に陣取っている。だが、これまで私が対峙したボスで不公正なものはひとつもなかった。難しい、然り。安っぽい、否。
それを台無しにしているのが、戻り道である。Hollow Knight はたいてい闘技場の近くにベンチを置いていたので、ボスの力量を測り、「よし、こいつには勝てる、時間がかかるだけだ」と結論し、作業に取りかかることができた。Silksong では、近くのベンチは稀な例外である。通常の配置では、あなたと戦いの間に足場区間が挟まっており、そこを一発も被弾せずに抜けなければならない。行きでマスクを一枚失うことが、勝利と、もう一度の長い行進とを分けかねないからである。そこでサイクルはこうなる——死ぬ、歩く、かすられる、死ぬ、また歩く。十往復目にもなれば、反応はもはや「やれる」ではない。「……もう知るか、クソが」である。
戦闘そのものも長い。上手く立ち回っても、Silksong のボス戦は5、6分かかる。いまだに非力なまま殴っている主人公の代償である。5分と聞けば控えめに思えるかもしれないが、それを順番に並べてみればいい。戻り道、4分の戦闘、死。戻り道、4分の戦闘、死。それは挑戦ではない。辱めの儀式である。
擁護として必ず持ち出されるのが、戻り道は Hornet の能力の使い方を鍛えてくれる、という理屈だ。それならゲームの残りの部分でやればよいではないか。ボスで詰まっているとき、私はボスと戦いたいのである。足場の腕を磨くなら、探索の気分を味わえる新しいエリアで喜んでやる。四十回目の同じ床の上で、ではなく。
設計の柱としての貧困
Silksong では何もかもに、この世界の通貨であるロザリオがかかり、しかもそれが足りたためしがない。Hollow Knight で金欠になるのは、あなた自身に下された判決だった。不注意に死んだか、衝動的に使ったか、何かのために貯めていたか、である。これは良い種類の欠乏であり、計画性に報いる種類のものだ。
Silksong の欠乏は、もう一方の種類である。戦略的な配給とは決して感じられない。あらゆる道に料金所が置かれ、しかもその係員があなたの銀行明細に目を通している、そんな感覚である。擁護として差し出されるのは、Pharloom は別の世界であり、別の経済があるのだ、という説明だ。結構。別の世界にだって、主人公を永遠に素寒貧にしておくよう設計されてはいない別の経済があってもよいはずである。
サディズム、明細書付き
足場アクションは、しばしばほぼフレーム単位の正確さを要求してくる。私は Cuphead のチュートリアルすら突破できないゲームジャーナリストではない。それなりに有能なプレイヤーである。だが、カジュアルからそこそこ程度のプレイヤーがこれらの区間の想定対象でないことは明白であり、たった一度のしくじりは、ヴィクトリア朝の治安判事ばりの手加減のなさで罰せられる。
それから、こちらの跳躍の軌道にきっちり駐車している敵がいる。誘い出してどかせる敵ではない——それならパズルである——そこにただ居座っている敵であり、通り抜けるには被弾を甘受するほかない。もしかすると気の利いた解法があって、私の脳味噌が豆粒ほどしかないせいで見つけられないだけなのかもしれない。だとすれば、ゲームはそれを実に巧妙に隠したものである。
隠す、というのがまさに要点だ。Mount Fay には落下する柱の区間があり、柱に触れて氷の水へ倒し込み、凍え死なずに立てる足場を作らなければならない。ゲーム内にそれを示唆するものは何もない。偶然見つけるか、調べるかのどちらかである。
そして Bilewater。コミュニティの Bilewater への憎悪はヒステリーではない。正当に勝ち取られたものである。このエリアは罰を与えるために設計され、その罰に見合う意味のある報酬は何ひとつ用意されておらず、このゲームの思想が抱える誤りのすべてを、最も純粋な形で蒸留した存在として屹立している。
その累積の結果、壁抜けも無敵モードもバグ技も生涯拒んできたこの私が、Silksong の一部区間を越えるために攻略記事や YouTube 動画に頼らざるを得なくなった。本気の苛立ちから、ゲームを放り出したこともある。「このボスについて少し考えてから戻ってこよう」という生産的な種類のものではない。これが私の怠慢だとは思わない。設計だと思っている。
報われない痛み
当然の反論は、Hollow Knight だってサディスティックだったではないか、お前は山頂だけを覚えていて登りの苦しさを忘れているのだ、というものだろう。一部は認める。Hollow Knight には、私が挑戦すらしなかった Path of Pain があったし、15,000 Geo と多大な忍耐を要する Unbreakable Strength もあった。それに今回は100%クリアを狙っており、つまりマップの最も過酷な片隅に自ら足を踏み入れているわけである。そうしているのは、前作で Sharp Shadow のような、見落としやすいが、いくつものボスや足場区間を格段に楽にしてくれたはずの強化を取り逃したからだ。同じ過ちを繰り返したくなかった。
だが、Hollow Knight のサディズムが何を支払ってくれたかを見ていただきたい。Path of Pain は完全に任意であり、最後には世界の伝承を語るムービーが待っている。Unbreakable Strength は、ゲーム中最高のチャームと言っても過言ではない。苦痛は稀で、自ら選ぶもので、報酬は代価に見合っていた。Silksong にはミニチュア版の Path of Pain があふれており、その終点で見つかるのはノミ一匹、ロザリオ一個、あるいはわずかなクラフト用金属である。これこそが本当の違いであり、懐古趣味で説明がつくものではない。Hollow Knight は素晴らしいものに高い値をつけた。Silksong は小銭に高い値をつけている。
煽りも、同じ試験に落第している。罠ベンチは YouTube のリアクション動画の中でなら笑える。マスク一枚で長い道のりを歩き終えたばかりのところで、自分を救ってくれるはずだったものに殺されたときには、笑えない。私はストレス解消のためにゲームをする。意図的に難しく作られたゲームについて言うには妙な台詞だと認めよう。それでも Hollow Knight は、それをやってのけた。Silksong は、たいていストレスの山を高くするだけである。
名誉なき告白
ついに、ここまで来てしまった。死の気配を察すると、私はポーズをかけ、メニューに戻り、セーブデータをロードし直す。目を覚ますとベンチで休んでおり、回収すべき亡骸も、払うべき贖罪もない。
Hollow Knight では、死ねばあなたのシェイドが倒れた場所で待っていた。ひどい場所に陣取ることもあったが、こちらへ誘い出して、まっとうな条件で片をつけることができた。私が死んだ。私のせいだ。シェイドを取りに行った。きつかったが、自業自得だった。Silksong の繭——失ったものを取り戻すために叩かねばならない亡骸——には、溶岩や氷の水や棘の上に居座る才能がある。一撃で足りるのだが、その一撃を当てるにはしばしば被弾を伴い、そうなると、すでに長すぎた戻り道の果てで、より少ないマスクのまま次の区間に臨むことになる。
だから代わりに、私はゲームを抜ける。誇れることではない。前作をそうしたように、ある種の名誉をもってこのゲームを遊びたかった。だが Silksong は名誉を高くつく選択肢にしてしまい、バグ技に一切手を出さないプレイヤーであるこの私を、セーブ&ロードの常習犯へと仕込み上げた。
これは私だけの話ではなく、その証拠は攻略動画の中にある。YouTube で Silksong のウォークスルーを十分に観れば、スピードランナーでもプロ配信者でもない普通のプレイヤーたちが、長い区間の終わりにたどり着いたらポーズして、抜けて、ロードし直せと勧めているのを耳にするだろう。単に歩いて戻らずに済むように、である。Hollow Knight は同じ問題を設計で解決していた。長い道のりの終わりには、たいていショートカットか、新しい移動能力か、文明の側へと開き戻る扉という褒美があった。セーブして抜ける手は存在したが、それはスピードランナーの小技であって、初回プレイの標準的な助言ではなかった。ゲームを飛ばすためにゲームの外へ出ることがコミュニティのベストプラクティスになっているなら、そのゲームは、想定されていない遊び方をプレイヤーに仕込んでいるのである。
擁護派諸氏へ一言
定番の擁護は次のように進む。Hornet は Knight ではない。力押しではなく戦術型であり、技構成も異なるのだから、このゲームはそれ自体の基準で判断されるべきだ、と。前提は認めよう。Hornet の軽業は見事であり、私もそのほとんどを決められる。
だが「戦術的」は「非力」の同義語ではないし、技構成が違うからといって、なぜカエル一匹に四突きも要るのかの説明にはならない。「別の世界だから」も、なぜその世界の経済があなたを金欠にしておくよう設計されているのかの説明にはならない。これらはアイデンティティについての議論ではない。調整についての言い訳であり、そしてその調整こそが問題なのだ。
より広いコミュニティには、さらに短い答えがある。「get good」——上手くなってから出直せ、である。Reddit でもどこの掲示板でも不満を投稿すれば、返信は時刻表どおりに、それもたった二語で到着し、投稿は「物議を醸す」として埋もれていく。初見プレイのあとで Hollow Knight のボスについて読み返しに行ったとき、あのコミュニティは協力的に感じられた。人々は説明し、励まし、戦略を共有していた。Silksong のコミュニティは防御的に感じられる。自分の買い物を擁護しているのかもしれないが、20ドルではとても住宅ローンとは呼べまい。だが「get good」は反論ではない。議論することを辞退する作法である。そしてこれだけ多くのプレイヤーが同じ不満を口にしている以上、その不満には耳を傾けられる資格がある。
認めるべきは認める
以上のいずれも、作り込みへの不満ではない。Silksong の見た目は素晴らしく美しく、サウンドトラックは圧巻である。ボスは記憶に残る。その記憶が主に、そいつらに殺された記憶であるとしてもだ。ツールは Hollow Knight のチャームと呪文の後継として本当に面白いアイデアである。もっとも、シルク技と同じく、使った欠片の一つひとつが後で必要になる欠片に思えるせいで、十分に使われずに終わるのだが。
Hollow Knight の後継として、ひとつの世界として、ひとつの物語として、Silksong はその地位にふさわしい。根底にある物語は良く、一貫しており、この世界観にしっくり収まっている。Pharloom は Hallownest よりも奥深く、生き生きと感じられる。叩いたものの半分は壊せることが判明するし、生き物たちは本当に面白い。このゲームには本物のユーモアがある。正直に言えば、そのユーモアと、その世界と、私自身の意地こそが、私をこのゲームに繋ぎ止めている主な理由である。
アートと音楽は問題ではない。問題はその下にある機構であり、それが美しいゲームを、クソ面倒な代物に変えているのである。
これは誰のために作られたのか
私はゲームデザイナーではない。仕事と責任を抱え、ビデオゲームを遊ぶのが好きな、ただの男である。だからこれは、安い席から唱える一説として受け取っていただきたい。
Hollow Knight の発売後、Team Cherry はより難しいコンテンツを追加し続け、その頂点が Godmaster アップデートだった。最も真剣で上級のプレイヤーのために作られた、地獄のボスラッシュである。その周囲には、一発も被弾せずに全ボスを倒す者たちと、それを畏敬の念とともに見守る観客という、観戦文化が育った。私の推測では、Team Cherry はその群衆と、続編を何年も懇願し続けたファンたちを眺めて、人々が何より求めているのは難しさだと結論づけたのだろう。そこで彼らは難易度を引き上げ、危険と罰を積み増した——原作を楽しいものにしていた、あの入念な調整抜きで。
その結果が、ノーダメージ勢に合わせて較正されたゲームである。Hollow Knight は、ほとんどの普通のプレイヤーが初見でクリアできる代物だった。現に私はそうした。Silksong は、そうした普通のプレイヤーが存在することを忘れてしまったらしい。難しさが Hollow Knight の魅力のすべてだったことはない。魅力は、公正な難しさにあったのだ。
評決
難しさとは契約である。ゲームは難しくあることに同意し、その見返りとして、プレイヤーが技量と粘り強さによって勝てることに同意する。Hollow Knight はその契約を一字一句守った。Silksong は前半だけを守り、後半を任意条項として扱っている。
私はこれをクリアするだろう。私は頑固だし、DLC はやって来るし、100%クリアは勝手に達成されてはくれない。だが、前作を勧めるように——但し書きなしに、熱を込めて——このゲームを勧めることはできない。
Hollow Knight に戻っていったときも、自分をマゾヒストのように感じたものだ。だが、それは別種のマゾヒズムだった。Hollow Knight は登山だった。困難で、危険で、美しく、頂上に着いてその話をすると、人々は「へえ、いつか挑戦してみようかな」と言った。Silksong は、カメラも回っていないのに、再生数も報酬もなく、ただやったと言うためだけに、裸足で熱した炭の上を歩くことである。そしてその話をしたときに返ってくるのは、称賛ではない。「なんだってわざわざ、そんなクソみたいな真似を?」である。
Hollow Knight は愛ゆえにクリアした。Silksong は、もはや意地と怨念だけでクリアしようとしている。